過去のニュース・2001年11月

2001/11/30

■岐阜グランドボウル・HPほっかほか開設!

 −BIGなアミューズメント施設へ行こう!  −

 

OBSK東海ブロック会員・岐阜県、岐阜グランドボウルがホームページをUPした!当センターは、岐阜県本巣郡穂積町にある。


【地図・・岐阜グランドボウルHPより】

 

【途中下車・・穂積町について】

この穂積町は人口約3万3千人。JR東海道本線穂積駅(JR名古屋駅より快速28分) ・岐阜バス岐垣線(岐阜、大垣ともに25分) ・新幹線岐阜羽島駅より車で20分。
交通至便なところから町の働きで企業誘致に成功し、近郊都市のベットタウンとなっている。 自然との共存を第一目標に都会的な快適さも取り入れ町づくりをめざす。文化・福祉・芸術など地域住民の参加率も高い。年々人口も増えていることから、今後ますます活気づいていく町と言える。

(穂積町役場HP参考)

 

岐阜グランドボウルは昭和47年開場。(1972年) 以後、幾多の変遷を超えて岐阜県内最大の60レーンを誇るボウリング場として近隣地域はもとより、広く県内外からもお客様を迎えている。

ボウリングセンター内

オリベッティ社製ALシステムは1988年から採用。現在はAL300G1、G3を導入している。また1988年発足のOBSKには東海地区では立ち上げ時から入会という、オリベッティにとって大の老舗ユーザーである。

今回UPのHPは、担当がホームページ製作会社の女性。まだ営業案内(1ページ分)しか出来上がっていないが、今後プロの手によるきめ細かい情報をUPしていく予定とのこと。

色使いとデザインが斬新である!独自にHPを立ち上げているセンターにとって、岐阜グランドボウルのBIGなアミューズメント情報は大いに参考になることと思う。

★岐阜グランドボウル HPは ⇒ こちら

 

11月30日現在で、OBSK会員119センター中、47センターがHPをUPしていることになる。全体の約40%!
OBSK-netを通してリンクが増えること、今後ますます楽しみの一つである!がんばってください。

明日から12月!HPがX’Masバージョンに切り替わっているセンターも多数見かける。冬の宵、お仕事の合間・・・敵の(??・・失礼!仲間でしたぁ・・)チェックを怠らないように!

オビスケット・HPチェック情報は ⇒ こちら

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2001/11/29

■教育研修会・感想・全掲載

 −OBSK・顧客満足度トレーニング研修会・参加者全員の声−

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OBSK教育委員会主催の「顧客満足度トレーニング研修会が全国3ヵ所(札幌、東京、福岡)で行われました。ご参加いただいた皆様には心よりお礼申し上げます。

★研修報告 関連記事は ⇒ こちらから


各会場、研修会終了後にを提出いただいていた『ご感想』が、まとまりましたので全て掲載いたします。(一部文字の読みにくい内容等は省略。オブザーバー様の声も一緒に掲載。)

ぜひセンターでの社内社員研修等でご参考にしていただき、参加された皆様は・・その後どのようにセンター内で実践されたか、ご連絡をいただければ、今後のOBSK研修会に反映できると思います。ご協力をお願い致します。

★研 修 『感想』 ⇒ こちらから

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2001/11/15

偲ぶ 須田開代子 −あなたの人生はパーフェクト−

笑顔が眩しい、故須田開代子

このOBSK−netでも何度か取り上げてきましたが・・11月21日は、プロボウラー須田開代子の七回忌です。

彼女とボウリングの苦楽を共にしてきた、水島国際ボウリング会館会長 藤澤量平氏から、数年前社内報に載せた「偲ぶ 須田開代子・・」という回顧録を、OBSK−netへ寄せていただきました。

藤澤氏の一つ一つの言葉が、今また鮮やかに蘇り(よみがえり)・・天国へ届いていると思います。心から冥福を祈りします。

 

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偲ぶ 須田開代子  −あなたの人生はパーフェクト−

水島国際ボウリング会館 会長:藤澤量平

 

藤澤量平氏須田開代子さんに最初にお会いしたのは、私がボウルみずしまをオープンした昭和43年のことでした。まだ、女子プロボウラーは誕生しておりません。

当時、アマチュアのトップボウラーとして活躍をしていた、中山律子、石井利枝さんと共に招待した時です。何と明るく、ハッキリした性格の娘だろうというのが私の第一印象でした。

以来28年、ボウリングを語り、酒を飲み、人生を歌い、笑い、泣き、私の人生に須田さんは大きくかかわっております。様子が少し違ってきたのは昨年の春頃からでした。筆まめに、よく手紙を下さるのにとだえ気味になりました。お忙しい人だからと気にも止めていませんでした。

ところが、突然の手紙でガンの手術を受け、余命いくばくもないと宣告をされた言々・・・。私は急遽上京、病院にかけつけました。「あなたは強運の持ち主だから必ずなおる。その時にはゆっくり温泉にでも招待するから」と励ましました。

その後、何回か話す機会があり温泉を楽しみにしている様子、私は快方に向かっているものと信じておりました。渡米して治療に専念すると電話を受けた時すら、日本にいれば仕事は無論のこと、見舞い客も多くゆっくり静養出来ないだろうし、それも一つの選択だ位に思っておりました。

11月になって彼女の夢を見ました。何かと気になる日が続きます。 虫が知らせるという事でしょうか・・私はアメリカに飛びました。 ダラスからバアージニア州のリッチモンド空港に着き、お姉さんと渡辺栄プロの出迎えを受け、車でホープウェルの病院に直行しました。

11月15日(アメリカ時間)でした。 お姉さんの話ですと、朝4時には起きてお化粧をして私を待ってくれていたそうです。 少女のように喜んであの声で笑って、一人息子の浩平君のこと、家のこと、JLBC等々の話で約1時間がアッという間に過ぎました。

見送りに出るという彼女を病室に残して飛行場に向かいました。飛行機に乗り遅れたのは、彼女の心残りだったからでしょうか。ワシントンDC ニューヨーク カナダのナイヤガラの滝を経てダラスに落ち着き、日本に帰国する11月21日(アメリカ時間)の朝、息子から国際電話を受けました。

須田さんが、逝ったとテレビで報道しているというのです。わずか6日間、あんなに元気だったのに・・・・。12月10日には帰国するからと、それは楽しみにしていたのにさぞ無念だった事と、目の前が一瞬暗くなりました。

親友の柏谷三郎プロも今はなく、又しても須田開代子さんが逝き、嗚呼!藤澤量平 何をか思わん。

須田さん、浩平君はあなたの背中を見て育ちました。必ず立派な人生を送るでしょう。 座右の銘「生涯青春」と、あなたの意思はJLBCによって永遠に引き継がれると信じます。

私の心には、あなたの思い出が一生去来するでしょう。 "あなたの人生はパーフェクトだった"  合掌

 


※須田開代子・・関連記事は全て下記からどうぞ。


2001/11/7


■理想に駆け抜けた青春!須田開代子

 
水島国際ボウリング会館・メモリアルイベントの主旨



11月21日という日がまた巡ってく来る。
プロボウラー須田開代子が1995年に逝って今年で7回忌。彼女に関わった多くの人たちの想いが一緒になる時である。

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★★ 須田開代子の好きな詩 ★ ★


青春とは心の持ち方をいう

歳を重ねただけでは人はけして老いない

理想を失ったとき、初めて老いる

(サムウェル ウルマン)

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OBSK中四国ブロック会員・水島国際ボウリング会館(代表取締役社長:藤澤太郎氏)では、11月1日から1ヶ月間【2001・11 須田開代子メモリアル月間 】を開催中だ。

 



 

先日、このイベントの記事を掲載し終わって・・ふと今回このイベントの主旨は?とう疑問が湧き起こり、再度・・担当者・岡野さん(女性)へ問いかけてたところ、1冊の本がオビスケットの手元に届いた。
(下記・・この本はOBSK-net上でも何度か紹介してきたが、私はまだ読んでいなかった・・反省)

「聞くより、読んで欲しい」と・・岡野さんの気持ちが伝わってきてたので、早速一心不乱に読んだ。

ボウリングへ情熱をささげ疾風のごとく走り去っていった女(ひと)・・須田開代子を、今でも多くの人が見守っていると感じた。

文中に水島国際ボウリング会館 会長:藤澤量平氏が随所に登場するが、須田開代子とはボウリングを通じた『同志』的な間柄であったと知り・・感銘を受けた!



 ★「須田開代子」という生き方−世界一ボウリングを愛した女(ひと)−
笹山生子著(チクマ秀版社)¥1,500

ボウリングブーム絶頂期の1973年当時、全国に3700件もあったボウリング場が、直後の第一オイルショック時から坂道を転げ落ちるようにバタバタ閉鎖して行った。特に単なる金儲け主義で開業したところの多くが追い込まれていった。

当然、数多く誕生したプロボウラー達は賞金では生活もままならなくなり、次第に廃業を迫られていった。
そんな中、ボウリング界の女王とまで言われた須田開代子ももちろん苦しんだが、彼女のボウリングに対する真の情熱に共鳴し、支えてくれたボウリング場のオーナーは少なくなかった。藤澤氏もその一人であった!

そして、病に倒れた彼女を見舞った最後の人でもあった・・・藤澤氏が登場する内容の一部をご紹介する。
(須田開代子が入院していた、アメリカ・バージニア州を訪ねる。*登場人物の説明は割愛 )

 

「須田開代子」という生き方


−第一章 あなたの人生はパーフェクトだった−


★最後の見舞客 P30-33
 

11月15日、日本から須田を見舞った人がいる。 岡山県にある「水島国際ボウリング会館」の会長、藤澤量平さんである。1990年6月から月に一度、須田を招き、プロマッチや講演会、撮影会を企画し、主催してきた。

68年から続く須田との固い絆と、彼女のボウリングにかけるひたむきな情熱を支援する意味から、藤澤さんは、須田のギャラを給料扱いにして社員として受け入れてきた。 須田は、この厚志に応えて、毎週おくる手紙の中で近況を報告し、ボウリングに関する情報をしたためた。

月に一度の仕事では、彼女のプロとしてのカリスマ性をみごとなまでに発揮し、さまざまな企画でボウリングの楽しみをアピールした。

その手紙が途絶えがちになり、「治療に専念するために渡米する」という報告を聞いてから約一ヶ月、藤澤さんは須田の夢を見た。まるで姉のような存在の彼女が気がかりでならない。彼は、ダラス経由リッチモンドの空港に降り立ち、絹子さんと渡辺プロの迎えを受け、須田の療養先である病院に直行した。

一方、藤澤さんが見舞いに来ると聞いた須田の喜びようは、絹子さんと渡辺プロの看病で張りつめていた心にも、しばしの幸福をもたらしてくれた。 「午後四時ごろ、バタバタという音で目覚めました。すると、ベッドの上にちょこんと座って、化粧道具を広げて開代ちゃんがメイクしてるんです。

私とお姉さんは、<ほーらっ、やってる、やってる>、と目配せしました。元気だった開代ちゃんがいつもしているように、丹念に化粧している。しかも、本当に楽しそうな表情で、そんな開代ちゃんを久しぶりに見て、私たちも藤澤さんの訪問が待ち遠しくてなりませんでした。」

そのシーンを思い出したのか、渡辺プロの声が明るく弾んだ。それにしても、血縁でもなく、好いた晴れたでもなく、沽券や休養のためでなく、一人の男が海を渡って見舞いに行く。その原動力を引き起こす須田にはどんな力があるというのだろう。

私は二度ばかり、藤澤さんを訪ねた。元重量挙げの選手だったという藤澤さんの存在感に、はじめて圧倒された。<怖そうな人やなぁー>・・・私の素直な第一印象である。 寡黙ながら、須田の早すぎた死を惜しむ無念さが伝わってくる。

「病院に行ったら、少女のように喜んでね。JLBCのこととか、浩平くんのこと、そして、目黒の家を売ろうと思っていることなんかを、いつものように、ハキハキと話していました。それと、『12月10日には絶対帰りたい』とも。病室を出ようとすると、エレベーターのところまで見送るというんです。
断って、空港に急ぎましたが、飛行機に乗り遅れてね。それぐらい話が弾んだし、元気だったんですが、・・・」

水島国際ボウリング会館のいたるところに須田の足跡が残っている。正面玄関右手のショーケースの中には、須田愛用のシューズやウェア、日常使っていた化粧品までも、また、会議室には、トロフィーやサイン、彼女の座右の銘「生涯青春」の額も飾ってある。

「プロ好みの選手ですよ。中山律子に300点を出され『パーフェクトを出すまではボウルを置けない』と精進したと思うが、経験と能力を、さらに努力で磨きぬいた須田の人生そのものが、パーフェクトだった!と、僕は確信してます。」

須田と出会って28年。共にボウリングを語り、酒を飲み、人生を歌い、笑い、泣き、藤澤さんの人生と大きくかかわってきた須田への大きなエールは、彼女の生きたいという意欲に、どれほどの追い風を送っただろう。 その追い風を受けてさえも、須田の肉体の衰退を止められはしなかった。

 

−第2章 光と蔭−

★プロにできること P55-56

ボウリングが大好きで、あの時期、歯を食いしばって頑張っていらっしゃった社長や支配人に、私は出会うことができました。水島国際ボウリング会館の社長さんは、全国の心センターに向け、今こそ力を合わせとき・・と、手紙を出し・・。

 

 

本をお送りくださった岡野さん・・感動をありがとうございます!須田開代子の好きな詩・・いいですね!

この本を『読みたい!』と思われる方は、書店にて本を買われるか(20冊以上ですと、日本ボウリング場協会では1冊\1,200円で販売中。)

または オビスケットへご連絡ください。無料です!・・1冊しかありませんので先着順。読む期間限定。送料は負担していただきます。)

 


2001/11/1

須田開代子・メモリアルイベント

 
−水島国際ボウリング会館に吹く懐しい風!−

 

OBSK中四国ブロック会員の水島国際ボウリング会館(代表取締役:藤澤太郎氏)では、11月1日から1ヶ月間 【須田開代子メモリアル月間 】イベントを開催する。

水島国際ボウリング会館で行われた、第13回クィーンズオープンプリンスカップに出場の須田開代子


【途中下車・・須田開代子について】

OBSK−netをご覧の方の中には、昭和40年代当時(1965〜1974年)、まだ生まれてなかったという方もいるはず?この
40年代からの日本は、高度成長期へ突入。東京オリンピック以降一般家庭へのTV普及率が90%に達した

昭和42年には日本の人口が1億人を突破。池田内閣の「所得倍増計画」が大成功!GNPが遂に世界第二位。この時期の好景気を「イザナギ景気」と呼んだ。昨今、経済状態が冷え込んでいる日本では考えられないくらいの破竹の勢いであった。

当時、レジャー産業の人気を一手に担っていたのはボウリング界。男女プロボウラーがゾクゾク誕生!女子プロ第一期生では須田開代子、中山律子、石井利枝などはTVブームと華やかなタレント性や実力も重なって注目の的であった。

特に須田開代子は、研ぎ澄まされた技術力・冷静な試合展開をするボウラーとして、また何事にも誠実で前向きな姿勢に多くのファンを魅了した。

須田はプロボウラーになる前の昭和39年頃は、ボウリングボールを扱う貿易会社に勤務していた。仕事上、「ボウリングを実際に知らなくては!」と始めたのがきっかけ。最初はガターばかりで興味が持てなかったらしい。

たが根っからの負けず嫌いが巧を成し、3年後にはBPAA(アメリカ経営者協議会)主催のビックイベントで準優勝の快挙を!その後様々なタイトルを獲得しプロボウリング界の女王として各団体の役員を務めながら後進の指導にもあたっていた。

残念ながら平成7年11月(1995年)、心不全のため療養先のアメリカ・バージニア州で急逝した。彼女の死はあまりにも早すぎ、ボウリング界に大きな打撃を与えた。

ここにあらためて、ご冥福をお祈りいたします。

(一部、日本ボウリング振興協議会・「写真で見るボウリング」を参考)

 



★= 水島国際ボウリング会館・イベント =★

【2001・11 須田開代子メモリアル月間 】

 

 

 ご 案 内 


一ヶ月間・・ボウリング場内に ・須田開代子プロに関する思い出の写真の展示 ・品々の展示。また思い出のビデオ映像の放映など。

 

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須田開代子メモリアル大 会 2001年11月24日(土)

第1シフト 15:00スタート

第2シフト 20:00スタート

参加費 6ゲームトータル 3,000円。

男女別年齢HDCP戦

お楽しみ表彰(全員賞あり)


HDCP 男女共
60歳〜69歳 5ピン

70歳〜79歳 10ピン

80歳以上  20ピン



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須田開代子思い出ビュッフェ食事会  2001年11月24日(土)

18:00〜19:30

参加費  2,000円

楽しいグッズの当たるアトラクションゲームを 用意しています。

 

 

 

須田開代子・・ボウラーとしてだけではなく、彼女自身のすばらしさを思い出して忘れないで欲しい!そんな想いが込められた、たくさんの写真や思い出の品等を展示してあります。

大会に参加しない方にもご覧頂いて一緒に語り合えたら・・と、水島国際ボウリング会館スタッフ全員がお待ちしています。ぜひ足をお運びください!そして、彼女の懐かしい風に吹かれてみませんか?

上記内容は、水島国際ボウリング会館HP上からもご覧いただけます。 ⇒ こちら

 

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2001/11/15

■投げて・当たった!
豪華グルメ

 
−OBSK東北ブロック主催・グルメ大会−
 


OBSK東北ブロックでは、10月13日(土)〜10月28日(日)の期間『グルメフェスティバル大会』を開催した。

参加は3センター(台由ボウルダイマツボウル能代スポーツセンター)、参加者377名であった。
当初予定は300名であったことから・・目標を大きく超えることができ、
イベントへの参加意欲を感じて いる。

今回、1人で8回も参加して賞を獲得できなかった方、4回参加で3つ の賞を獲得した方など様々であった。全体的に大好評であったと関係者は喜んでいる。

賞品は北海道特産物。「はまなす」「ラベンダー」「ライラック」「すずらん」の4コースがあり1万円〜3,500円と豪華版!

カタログはすずらんコース3,500円

入賞・・・優勝(1位)〜10位。377位まで20飛び賞。順位末尾「77」の方はラッキー賞。
11月14日(木)に入賞者センターへ発送済み。

 

★ 入賞された方 おめでとうございます ★

 

多くの皆さまのご参加ありがとうございました。
次回は500名様参加目標です!

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2001/11/13

AMF・Wカップ日本初優勝

−女子・板倉奈智美(和歌山)快挙!−


11月11日付・朝日(朝刊)新聞、スポーツ欄参考

ボウリング第37回AMFワールドカップ(W杯)がタイのパタヤで開かれていたが、10日、3回戦制で争われる女子決勝で板倉奈智美(和歌山)が、リサ・デルロサリオ(フィリピン)を2−0で下し、W杯を日本にもたらした。男女を通じて初めての快挙!!

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上記記事は、新聞社数社で取り上げられ注目の程が伺われた!日本のボウリング勢が、また一歩世界に近づいた嬉しい話題である。

板倉奈智美は現在アマチュアであるが、プロ転向を目指しているとのこと。
2000年には『とやま国体・夏季大会』(9月9日-12日)が、OBSK会員であるニチマボウルで開催されたが、彼女が”話題の選手”として紹介されていた。  
関連サイト⇒こちら

 

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2001/11/12

■ボウルジャンボ(高知)・よさこい国体

 −ボウリング競技リハーサル大会・GOJ社サポート参加 −

 

会場のボウルジャンボ全景。当会場はJR高知駅から歩いて数分という絶好のロケーション!

 

OBSK中四国ブロック会員、高知市のボウルジャンボにて、11月1日(木)〜11月4日(日)に、『内閣総理大臣杯争奪第30回全国都道府県対抗選手権大会』が開催された。

 

ボウルジャンボの外に設置された、色鮮やかな『高知よさこい国体の看板』





これは、2002年に行なわれる“高知よさこい国体”ボウリング競技のリハーサル大会の役目も兼ねてい
る。

地区予選を勝ち抜いた44都道府県から246名の代表選手が、4日間に渡って熱戦を繰り広げた。

開会宣言をする、全日本ボウリング協会:赤木恭平会長  

開会式、選手入場

 

会場のボウルジャンボは、GOJ社(ジェトロニクス・オリベッティ(株))のAL5000のユーザーであることから、オフィシャル・サプライヤーとしてGOJ社は当大会に参加した。

この大会では、通常のレジャーボウリングとは違う"競技用ルール"が採用されているため、それに従ったプログラミングが必要であり、また、エントリー選手全員のデータ入力もエントリー変更等が随時発生し、試合前日までデータの修正対応などに追われた。

順調に繰り広げられた、競技の模様

マシンの動作確認や得点集計などの円滑な機器稼動のためのサポート運営の傍ら、選手への練習用シューズの貸し出しなどのフロント業務にも応じていた。左より、GOJ社PS事業部VSDの向原、BS営業部の波田野

GOJ社サポートスタッフ一同
1ヵ月以上前から当体会の準備を重ねてきた全スタッフの協力のもと、万全の準備で臨んだ結果、4日間の会期中システムトラブルも無く大会は順調に運営された。



来年の"高知よさこい国体"本大会でも、同会場を使用することが決定しており、GOJメンバーらの今年同様の、決め細やかなサポートが期待できそうだ。

また、期間中フロントには"ボウルジャンボ"側のご好意により、Getronicsのフラグ(上記画像左)が数本掲示され、GOJのPRに一役かっていただいた。

2002年に行なわれる"高知よさこい国体"のボウリング競技は、夏季種目で『2002年9月21日〜24日』の日程で行なわれる予定。お楽しみに!

よさこい国体★ HPは⇒ こちら

(GOJ社 広報部・取材記事参考)

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2001/11/1

■宝くじにボウリング登場!本日発売!

 −ボウリングマッチで50万円当てよう!−
 

10月の「宝ニュース」(全国都道府県、12指定都市扱い)によると、2001年6月に登場した新インスタントくじの『スクラッチ』だが、新たに2種の全国自治宝くじ「スクラッチ」が発売される。
その一つに【ボウリングマッチ】 が登場!!


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発売期間 2001年11月1日(木)〜14日(水)まで

全国の宝くじ売り場にて
1枚200円!


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【ボウリングマッチ内容】
(第430回全国自治宝くじ)

宝くじ券、表面に「1レーン」と「2レーン」の枠が左右にあり、真中にボウリングをしている女性のイラストがある。

やりかたはカンタン!!この2つの「レーン」枠を削って、 いずれかに金額が出てくれば「当たり」で、その表示された金額が当せん金!まさに、いまボウリング をしているような感じで思わず手に汗を握ってしまう!?

<宝ニュースより転載>
画像・・ちょっと見えにくいです


<当せん金額>
1等
500,000円
2等
50,000円
3等
5,000円
4等
500円
5等(末等)
100円


「もしかして!50万円?」という期待感を持ってもらう意味で、ボウリング場のイベントやコンペの賞品などに利用しても、肝心のボウリング以上に負けないくらいスリルがあって面白いのではないだろうか。

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賞品として「宝くじ」を扱う場合の注意事項

【GOJ社法務部より】

この件は、公正取引法の「一般消費者に対する景品類の提供に関する事項の制限」が適用されます。これは、一般消費者に対して懸賞の方法によらないで景品類を提供する場合のもので総付景品とも言われます。
この景品類の最高額は、取引価格の10分の1です。(例えば、お客様がゲーム料金を5000円支払ったのであれば500円までの賞品を出すことができます。)

ボウリング場を例に取った場合。(2つの条件があります)

1.来場者全員に満遍なく宝くじ券を賞品として差し上げるのでしたら、お客様が支払った価格の10分の1。この【ボウリングマッチ券】であれば2000円で1枚進呈。

2.大会等で上位入賞者・ハイスコア者など条件付の賞品にする場合は、大会参加費などの20倍まで進呈できる。【ボウリングマッチ券】であれば、参加費2000円で200枚(4万円分)進呈OK。

尚、宝くじ扱いに関するご不明点は、直接・・・第一勧業銀行・本店「宝くじ部」(TEL03-3596-1111(代))へお問い合わせ下さい。

 

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